The Full Story
安養山誓願寺
安養山誓願寺は、もと、時宗一向派に所属し、一向上人の開宗であったが、昭和17年、浄土宗に合併した。
開基は、暦応2年(1339年)、仏向寺(元、時宗一向派本寺)の2世同阿専了和尚の直弟、了阿上人誓願房和尚で、諸国を行脚し、念仏修行の後、蔵増地内の念仏道場、弥陀庵に落ち着き、もっぱら、自行化他(じぎょうけた。自ら修行し、更に他人を教化して悟らせること。)、ただ念仏一会を勧進し、安養山誓願寺と号し、地域住民の教化に専念した。


了阿誓願房 上人が開山
了阿上人誓願房和尚は、応永8年(1401年)1月15日、103歳の長寿を全うして寂す。開山依頼50世住職香賀まで670年ほどの歳月を経ている。
今の本堂と伽藍は、江戸時代中期の、寛保3年(1743年)6月、当山 32 世、勝阿快山上人により建立され、築後270年近くになる。(寺伝)
本堂に祀られる誓願寺を開基した「了阿上人誓願房」和尚の木像。念仏一会を勧進し、地域住民の教化に専念。103歳の長寿を全うした。
誓願寺最上三十三観世音菩薩33体
本堂内には、最上三十三観世音菩薩33体の仏像を祀っている。この観音像は、誓願寺の末庵、成生庵の庵主了圓尼が萬延元年
(1860年)5月、村山四郡にわたる地域の信心者、161人からの浄財寄進を得て建立し、成生庵に奉納安置したものである。
しかし、昭和39年(1964年)妙宗尼歿後、後継者が絶え、昭和44年誓願寺位牌堂建立の際、当山に遷座し、その後、観音講忠を組織して信仰を続けている。(寺伝)


観音様
江戸時代から引き継がれている観音講忠 新西国中通り 第3番蔵増安養山誓願寺
父母恵深粉河寺佛誓頼母ちちははのめぐみもふかきこかわでらほとけのちかい たのもしのみや
一字一石供養塔
誓願寺境内の一隅に建つ石碑は天保9年(1839年)7月に建立された供養塔であり、碑文は智阿上人秀琳和尚が揮毫したものである。
この供養塔は、縦170cm、横150cmの大きなもので、三部経(さんぶきょう)の一巻、阿弥陀経の中の護念経(ごねんきょう)、字数868字を一字一石、一石三礼の法会(さんれいのほうえ)を厳修し、信者と共に、先祖供養、2世安楽、身体堅固、家内安全を祈願し埋石されたものである。(寺伝)
境内北側に「一石に三たびの礼拝」を行い、先祖供養、2世安楽、身体堅固、家内安全を祈願して埋石した供養塔が建つ

